シミュレーションゲームと日々の思い付き

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軍事的合理性?

急に寒くなりました。冬支度を済ませていたので、なんとか対応できています。

子供の模試結果で奥様激昂とか、先日子供のスポーツ推薦を断りましたが、子供と同じぐらいアホな友達が他校にスポーツ推薦で行くの決定で子供の士気崩壊とか、まあまあ色々あります。最近の私立校の凄まじい集金能力には恐れいります。小論文だけの事実上無試験で併願推薦を合格させ、系列Fランク大学まで自動で入れるとか、スポーツだと特待じゃないと別のスポーツのわずかな実績だけで推薦を出すとか、入試回避という「安心」を武器に、世の奥様方を落とすことを目的としたマーケティングが、まあよくできているわけです。

募集難と言われて久しいですが、いざ、自分の子供がそういう時期にくると、そのカラクリがわかったように思えます。親の情と子供の怠惰双方に耳障りの良い、「選択肢の先延ばし」の手段がいくらでも提供されているわけです。怖い時代だなあと、つくづく思います。ウチの子供は幸いなのか、職業の方向性というか、向き不向きの傾向がはっきり分かっているので、あとは本人の「普通」に遊びたいというピーターパンシンドロームと、「普通」に進学させたいという奥様双方の、所謂「普通」願望をいかに断ち切るかが鍵になるんでしょう。

軍事的合理性から判断すると、語学、歴史に全く興味がなく、所謂鈍感だが、体と手を動かすのはそれなりに出来、音感も良いという特性を持っているのであれば、向いている仕事は決まったようなものなんですが、どうやって誘導したらよいのやら。

このように、自分で軍事的合理性という言葉を無意識に使いますし耳にもします。

聞いたことがある言葉ですが、普通の辞書には勿論乗っていません。普通に合理性でええやん、という気もしますが、わざわざ軍事的とつくところに肝があるという事なんでしょう。勿論、軍事は政治の延長線なわけで、そう言った意味でもわざわざ合理性の前に軍事をつけるのは、特別な意味を感じさせる表現ということなのだと思います。

新人の時、直上の科長が偉そうにしている「部内」の定年前の方でしたが、キカンチョーはへータイと一緒に死ぬのが仕事なんだと言っていました。なるほど、現場仕事はへータイがやってカマタキ幹部は艦橋にできることだけを報告してるだけでいいのね、とか当時は思ってましたが、運用者には確実性を提供し、科員には信頼を与えるという事なんだろうなあと今は思えます。これも、所謂「躾」というやつなんでしょう。

戦艦大和沈没後、前部に被弾浸水した駆逐艦涼月は被害区間の浮力維持に辛うじて成功し、後進航行によりなんとか生還しています。被害区間で生き残り、脱出可能だったはずの乗員が脱出せず区間に残って浮力維持に成功した結果、艦は救われました。浮力維持の代償として、区間に残った3名の乗員は酸欠のため戦死しています。艦そのものは救われたので、乗員の自己犠牲は当時の軍事的合理性の基準では妥当な判断かもしれません。戦術レベルの現場における覚悟というか、前提となるべき精神的な基盤とは、そういうものなので、若い頃に上司から聞いた言葉も、そういう覚悟というか、精神的な基盤とかいう話になるのだと思います。

ですが、今の世の中で「使う」立場の方に進言するとなると、必ずしもその判断は合理的とは言い難いと思います。 

軍事は政治の手段なわけであり、現実の様々な状況に合致させないと、そもそも「立っていられない」わけです。今の世の中的には人的犠牲の価値が極めて高くなっている以上、その状況に合わせる必要があります。

代替手段がなく補充が効かない「人」を無碍に失うような使い方は絶対に避けなければならない訳で、そのような視点に立った軍事的合理性のある判断を行うとすると、「人」だけは失わないようと導き出せる訳です。

要は視点を何処に置くか、戦略レベル、作戦レベル、戦術レベルでそれぞれの合理性の基準が異なる訳で、判断基準が異なるものが「軍事的合理性」という一括りで表現され使われているなあ、と思います。

いずれにせよ、どのレベルの視点であっても、「自己犠牲をも選択肢から排除せず、合理的に判断する」ことが「軍事的合理性」に基づく判断の共通項なのかもしれません。

シミュレーションゲームは、可能性を色々と試せるので、「リスク」に目を瞑った作戦もとれるわけです。シミュレーションゲームに対する批判として昔から出てくる古典的な話題に倫理性と言ったハナシがありますが、ゲームを通じてデザイナーが時代の特性=倫理的規範も含む=を制限ルールや勝利条件といった中に表現しているのだと思っています。ゲームデザインの範疇でとりえる選択肢を試せるというのも、シミュレーションゲームならではなのだろうと思います。

そんなことを思っていながらも、オモテの顔では、「ゲームだと思うな、リアルに考えて判断せい」などと偉そうに語っているのはナイショです。