シミュレーションゲームと日々の思い付き

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スエズを渡れ

現役ゲーマーの頃には手を出さなかったのですが、リハビリ用ゲームを探していたところ、HJ/SPIのBASIC3の「スエズを渡れ」を見つけました。

第4次中東戦争の所謂、チャイニーズファームの戦いのゲームです。BASIC3自体は知っていたのですが、学生の時に周りで遊んでいる人がいなかったので詳細は知りませんでした。

スエズ運河は20世紀末に北航したことがあります。紅海入口のバブ•エル•マンデブ海峡の右岸の島には航空機の残骸が残り、紅海に入るとそれまでの晴天が一転し砂漠から噴き上げられた砂で霞が掛かったような空になりました。夜間には国際VHFの待受回線に、酔っ払ったとしか思えない「アラアラアラアラ」と叫ぶ交話がしつこく入り、耐えかねた船から「シャラップ!」との交話が入るなど、無法地帯の様相でした。

運河南口のスエズ港付近の仮泊地では、怪しいヒエログリフが描かれたパピルスを売りつける出張お土産船が横付け商売を始め、スエズ運河に入ると運河レギュレーションで、PがBの発音になる、エジプト訛りの水先案内人と、何をするでもなく前後の上甲板上に屯う運河作業員10数名が乗り込んできます。

この運河作業員が極めてタチが悪く、上甲板の真鍮製消火用金物を盗んだり、食事を提供した鉄板プレートを無断で持ち帰ったり、飛行甲板下の日陰で持参した土産を広げて乗員に売り付けようとしたり、無償で提供してやった紅茶に砂糖が足りないと要求したりと、まあ、やりたい放題です。運河中間のグレートビター湖で運河南側と北側の作業員が交替しますが、これら部外者対応の監督責任者をやらされていた僕は、運河南側作業員の頭とカタコト英語で怒鳴り合いをしました。キルユーと言われたのも初めてでしたが、それをこっそり見ていた先輩に内部新聞で面白ろ可笑しく事の顛末を暴露されたのも、今となっては良い思い出です。

現在はグレードビター湖から北のスエズ運河は複線化されていますが南側は単線のままです。今年座礁事故を起こしたコンテナ船が航行していたのは単線の南側だったので、他船が回避航行出来ず運河が封鎖されたわけです。

コンテナ船にも水先案内人とあの悪質な運河作業員が乗っていたはずですが、エジプトから緊急時の対応用にと乗り込みが義務付けられている運河作業員ですが、やはり事故が起きると何の役にも立たなかったのでしょう。外貨稼ぎの為とは言えパナマ運河と比べると悪質に感じます。

スエズ運河の右岸、シナイ半島側には、砂漠の中そこかしこに戦車の残骸が見えました。グレードビター湖北岸のイスマイリヤから少し北上した付近には記念碑と戦車が飾ってあり、激戦の跡が垣間見えました。

スエズを渡れ」のゲームの舞台が、まさにスエズ運河グレードビター湖北岸付近だったのです。このように個人的にスエズ運河に思い入れもあるので、程度のいい中古品で早速ソロプレイをしてみました。

ゲームシステムは戦力比ではなく戦力差となっており、スタック禁止、後退寄りCRTなので、初心者用ということなのでしょうが、地形のほか、諸兵科効果や砲撃、夜間ターンなど特別ルールがドイツ戦車軍団よりはやや多い印象です。

戦力差をベースのCRTに様々な修正が加えられるので、防御側にとって非常にブラッディな戦闘結果となります。また、砂漠と道路の移動制限が大きく、CRTと相まって、補給ルールがなくとも血で血を洗う砂漠の機動消耗戦が良く表現されているようです。

ハリコフと合わせて、しばらく遊んでみようと思います。